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この街の華やかなショウタイムの始まりだ
昼間はビジネスマンだけで人通りも少ない、むしろ閑散としている
辺りが暗くなった頃に、着飾った女や、スーツ姿のやさ男が多くなる

高級車から降りてくる者、地下鉄の階段からくる者、様々だ
これから始まる様々なドラマに向けての準備が慌しく行われる
それぞれの店のネオンが、ポツリ、ポツリとつきはじめる
店頭を清掃したり、水を撒いたり、黒のチョッキの男達が始めだす
毎日、同じ時間、同じ事を繰り返している





    
俺は長いことこの街でバーテンダーとしてやってきた
腕は一流という訳ではないが、かなりの常連さんがいる
この商売は人生の掛売りみたいなもので、客は心の憩いを買いにくる

一杯か二杯飲んで殆どの客は帰っていく、満足とまではいかないようだ
いつもの週末に30過ぎの女が店にきた、「スコッチ、ダブルで」と言ったきり何も言わない
じっと一点を見つめて、時々グラスを口に運ぶ、俺は他の客との世間話に終始した
なかなか、彼女の飲む姿は様になって、流れるJAZZと店の薄暗い照明が彼女を引き立たせる
俺は話し掛けることもしないまま、彼女は「ごちそうさま」と言って帰って行った





彼女が初めて来てからニ週間過ぎた週末にその彼女がやってきた
この前と同じように、「スコッチ、ダブルで」と言ったきり何も言わない
幸い店には客が居なかったので、こちらから話掛けてみることにした

「お客さんは、この前いらっしゃいましたよね?」と話し掛けてみた
小さく「はっ」とため息を漏らし、「ええ」と言って黙ってしまった
「何か曲を替えましょうか?」と尋ねたら「イエスタディズをお願い」
「オスカー・ピーターソンですね」と言うと、彼女は黙ってうなずいた
「お替り下さいな」と彼女、見るとじっと目を閉じて聴き入っている
この吹き溜まりの店で聴くJAZZは心の悲鳴かもしれない





それから、何回目かに彼女が来た時、口を開いた「今日は違うもの呑みたいな」と
「へーぇ、珍しいですね、何かいいことでもあったのですか?」と聞くと、首を横に振り
「男と別れたの」、「すみません、余計な事聞いちゃって、お詫びに一杯奢りますよ」

「曲を替えてくれる?」と彼女、「じゃ、ハービー・マンにしましょう」俺が言った
「そうね、サマータイムが聴きたいなぁ」と彼女、「JAZZはお好きなのですね」と言うと
「そう、心が落ち着くし、辛い時には聴いて心を慰めるの」と言った、初めて会話をした気分
確かにJAZZとアルコール、使いようによっては、心の癒しそのものである
この商売を続けて、彼女のような客に会えるのは幸せかもしれない





また何回目の週末がやってきた、彼女は俺に心を開くようになっていた
毎回、「スコッチ、ダブルで」と言うものの会話はする機会が多くなった
「ねぇ、休みにどっかに行きましょうか?」と彼女はいう、「いやぁ、それはちょっと」

「え、お客とは付き合わない主義?」確かにそうだが、「いえ、いろいろ、忙しくって」
行きたいのは山々だが、行けば楽しいだろう、やはりカウンターの向こうとこっち
世界が余りにも違いすぎる、若い頃、先輩からも言われた「客には興味を示すな」と
「お前がこの世界で生きて行こうと決めたら、客とは付き合うな、商売が甘くなる」
確かに、この世界は厳しい、寂しい、辛い、でも自分が選んだ道
この吹き溜まりの店でかけるJAZZと作る酒は俺の嘆きに似ている


お聴きの曲はヤマハ(株)から提供されたものです。
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